"I..."
意識はある――でも目を開けられない。
まぶたの先にある物が、恐ろしくて仕方ないから。
遠くで音がする。
いや、もしかしたら耳のそばで小さく響いているだけかもしれない。
肌に何かが触れているような、絶えず風が肌をくすぐるような妙な感覚。
"――私は死んだの?"
唐突に言葉が飛び出す。自分の声なのか、自分の口が動いたのかも分からない。
ただそう"言ったと錯覚した"だけなのかもしれない。
しかし、言葉は空しい響きを残して闇に飲み込まれた…。
そして又、精神だけの何もない静寂に置き去りにされる。
……あぁそうか、やっぱり私は死んだんだ。
その確認で、闇の底にあった記憶がスポットライトを浴びたように突如蘇る。
死んで当然だったんだ。
ケンタウルス達にも道理があったのに、それを気付かず踏みにじった私が――殺されたのも。
あんなに泣いて、叫んでまで死を恐れた私はどこに行ったんだろう?
自分なのに"あの自分"は、まるで別の生き物の様だった気がして仕方なかった。
…私が死んだら、世界はどうなる?
何も変わらない筈だ。イレギュラーな私が舞台から去った。只…それだけの事。
何故、寂しさを感じない私がここにいるのだろう。
生と死の境界線を越えた…これが結果なんだろうか。
――…死んでいない。
「えっ」
誰かの声がした。
でもその声の主について思い出す間も無く、私は闇から抜け出し、何処かに立っていた。
"何処か"を理解するのに数秒掛かった。
何か縦長い物が視界を埋め尽くす量で壁を作っていた。
その壁がうまくカーブを描いて球形を作り、それは私の立つ足元にも及んでいた。
「…本?」
各個微妙に色は違うが、縦長い物は本の背表紙であることに気付いた。
しかし書籍名が書かれていそうなそこには、ミミズが張ったような読めない線が刻まれているだけ。
…一体何冊あるのだろう。膨大で、数える気にもなれなかった。
「」
突然、背後から名を呼ばれた驚きと、急に振り返った所為で私はバランスを崩し、尻餅をついた。
本の上――痛いだろうと予想していたが、軽い衝撃だけで身に残るような痛みはなかった。
私は、顔を見上げる。
先刻の闇が、そこには居た……いや、漆黒のマントを身にまとった長髪の男が立っていた。
黒ずくめの男の瞳は、まるでシャボン玉の膜のように色が定まらない。
「だ、誰?」
動揺を隠せず、少しどもりながら前方の男に質問を投げかけた。
しかし彼は無言で私に手を差し伸べただけで、何も言わない。
…本当に手を取ってもいいのだろうか。
そう内心疑いながらも、ゆっくり私は手を掴んで立ち上がった。
「我の名はディアス――預言書の二の司だ」
「!?」
"預言書"という言葉を聞いて、私の空ろな心は急に感情を取り戻す。
憎しみと、怒りの感情を。
彼等が人の姿になれるなんて私は知らない、聞いたこともない。
…そして、それを私に隠していたのかもどうでもいい。
――只そこに、唐突に現れたのが憎い。
「わ、私を死んだ後でも束縛するつもり!?」
ゾワゾワとした身に馴染まない感情が、口から飛び出す。
嫌だ…。
もうあんな……嫌なんだ。
無意識の内に首を振りながら、彼から離れようとする。
しかし逃げる場もなければ隠れる場も無し――そんな事分かっているのに。
「君は死んでいない――此処は世界の核で、我は君を束縛する気などない」
彼の声は穏やかで、そしてどこまでも冷静で。
その両者に腹が立つ。
「…どうして……」
「思い出して欲しいからだ、君に」
闇をまとう彼がゆっくりと私に歩み寄ってくる。
逃げたい…後退りたいと思っても、足が全く動いてくれない。
来ないで、欲しいのに。
「、君が…――」
彼は私の目を見て、言った。
「この未来に至るよう導いた…分かるか」
……心の奥底で、何かが悲鳴をあげている気がした。
それが、私の本心だからかも知れない。
「君は、確かに不幸だった。巻き込んでしまって我等も申し訳ないと思っている。
だが、この世界で生きると決めた君が、一番大切な物を受け入れてない」
刺さる、刺さる、刺さる。
心に、ズバズバと痛々しい効果音をつけて。
彼の声が、言葉が、表情が。
「選べたはずだ。我に記されている未来に関わらない道を。
恐怖に囚われ、何も見えなくなっていた…違うか」
全身が、震える。視界がかすみ、そして頬に何かがつたって落ちる。
――そうだったのかも知れない。
私は、私自身が"意味のない者"であるのを恐れた。
その恐怖から逃げたい一心で、此処まで来てしまったんだ。
でも、分からない。
私が受け入れていない大切な物……それが何なのか。
「…」
涙が止まらず、足の力が今にも抜けそうな私を、包み込む暖かさ。
…黒の彼が、私を支えながら抱きしめていた。
「どうか自分を責めないで欲しい…責めても真実は変わらない。
我等があの者と接触したのは事実だ。認めよう。
…だがそれは、君を守るためだったと言い訳をさせて欲しい」
私を…守るため?
赤い瞳の彼はあの時点で、私を殺そうとでもしていたんだろうか。
「本心で答えを出して欲しい…出なければ、我等は君に手を差し伸べられない」
やはり彼――ディアスの声は穏やかだった。
その穏やかさが、とても嬉しかった。
どこで間違ったんだろう。どこで道を踏み外したんだろう。
…そう、何時も考えていた。
私は、恐怖に囚われていた。でもそれと同時に"過ち"にも囚われていたんだと思う。
もしかしたら、私は…――。
ゆっくり、自分の足の感覚が無くなり、意識が遠のくのが分かる。
分かっていながら止められない。だからこそ、私は最後に言いたかった。
「…あ…りが…とう」
守ってくれて、助けてくれて、気付かせてくれて。
その一言に、全てを入れた。
――…私を受け入れていなかったのかも知れない。
誰だって、過ちがあるのにそれを踏み越えられなかった。
さんは、それに気付けたのです。
…そして、残るはさんの決断のみ。
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