"The wish is put"















静かに夜風は吹き抜ける。

具現者にも、星見にも。


己の感情と違って…平等に。








誰も少しも動かなかった。

自ら望んで動かない者達もいれば、精力が底尽き動けない者もいる。


アスケラはそんな中、今は何も居ない闇の虚無を見つめていた。

そこに、まだ"二の者"が居るのではないかと、自分を欺いて居るだけかもしれないと。

しかし、そんな気配は微塵も無かった。寧ろ彼――ディアスが姿を消したのと同時に具現者の容態が更に

悪化した事が、既に真実であると物語っていた。




「!アスケラっ、何を?!」




具現者に前進すると同時に、アスケラは背の矢筒から小さな皮製の包みを取り出す。

その中身の正体にいち早く気付いた一頭のケンタウルスがアスケラの進行を遮った。




「アスケラ、それを具現者に与えてしまえば我等が行った事が意味を失ってしまいます」

「…マゴリアン」




何処までも冷静なアスケラとは対照的に、マゴリアンには独特の"熱"が感じられた。






「我等は黙秘せねばならない"未来"を具現者は容易に壊していくのです。
 
 これを認めれば、我等こそ"無意味"になる可能性が・・・」


「マゴリアン、私とてその結末は避けたい。

 だが我等は混乱し、そして今誤った判断を下す可能性がある。

 ――…それを防ぐ為に、具現者の毒を少し弱めるのだ」


「ですがっ…」






自分が今やろうとしている事を、アスケラは間違っていないと言う確信があった。

今自分や仲間に必要なのは"時間"であり、それを手に入れる為には結果を遅らせねばならない。

具現者の命を長引かせる必要が無くなれば…とどめを刺せばいいのだ。


ゆっくりと歩み寄り、彼は前足を折って具現者に屈み込み皮製の袋から一掬いの粉を振り掛けた。

まるで灰の様な粉は、具現者の矢が刺さり血が滲む背に触れた瞬間、純白になって吸収された。






「…皆の意見が聞きたい。

 先刻現れた預言書の"二の者"の言う通り、具現者は未来を変えてしまっている。
 
 これ以上未来を荒らされない為に――我らは彼女を殺そうとしている。

 しかし同時に未来を知り、尚且つそれを修正する事も不可能となる……」


「優先すべきは、具現者の絶命と預言書の抹消だ!

 此処で両者を逃がせば、次に我等が手を下す機会は何時になる!」


「そうだ、今こそっ・・・!」






予想通りの結果が仲間達の口から紡がれ、アスケラは何とも言えない感情に襲われた。

長として…この侭具現者を殺めるべきか……。








「…私は、生かすべきだと考える」




殺気が満ちた空気の中、その一言が妙に響き渡り仲間達の視線が発言者へと向けられる。





「フィレンツェ!何を言っている!」


「確かに、未来を書き換えられてしまった…しかしそれは"今"しか見ていない考え方だ。

 本当に"未来"を大切に思うのならば、具現者である彼女を生かし、変えさせるべきだと私は思う」




フィレンツェの言う言葉が、確かな重みとなって仲間達の心に溜まる。

…アスケラも、ひたすら彼に言葉に耳を傾ける。








「私も最初は具現者に怒り以外向けてはいなかった。

 しかし、怒りで我等は前が見えなくなっているのではないだろうか?


――彼女を殺し、更に未来に殺戮を与えるより、生かして殺戮の世を防ぐべきだ」








彼の言う事は、仲間達の図星だった。


未来を簡単に変えられていく――それを黙って見ている事しか出来ない自分達に嫌悪感を持ち、


それと同時に、生まれ付きの才もない一人の少女を憎んだ。



…間違っていたのかもしれない。





「あ、アスケラッ!」





自分では判断を下せない一頭が、迷った末長に意見を求めた。

そんな仲間をアスケラは穏やかであり威厳のある瞳で見つめた後、言った。





「…私も、フィレンツェと同意見だ………"可能性"を――彼女に託そう」





アスケラの声は静かだった。

仲間に背を向け、彼は再び後方に倒れる具現者の彼女を見た。



――彼女は何を思って、この世界で生き続けるのだろう。

異世界から突如引き込まれ、この世界で"孤独"でありながら何故……彼女は此処まで強いのだろうか。


何もない筈の彼女が選ばれたのは、

もしかしたらその"強さ"なのではないかと、アスケラは思った。





「"預言書の全の者達"よ…汝等に、今の未来が見えるか」





言い終えた後、彼はふと空を見上げてこの世の行く末をじっくり見詰める。

輝く星とは正反対の、くすんでいる様な、灰色の世界がアスケラの瞳に映った。






「見えるなら言おう――星見として、この夜空を見るのは私には辛過ぎると」






アスケラは微かな願いを込めて、癒しの粉を具現者に注いだ。



灰色が、純白に変わる様に。

――この夜空に、再び平和を。









〜§〜









朝、珍しい事に彼は飼い犬の鳴き声で起きた。

何時もなら主人の眠りを妨げる事の無いのに…と思いながら、ドッシリとした体を起こす。




「どうしたんだ、ファング?」




暖炉で最後にパチリと音を立てて燃え尽きる燃えカスと同時に彼は起き上がり、

絶えず鳴き続けながら部屋を駆けずり回る飼い犬の名前を呼ぶ。


主が起きたのを知った飼い犬は、ひたすら出入り口のドアの前で吼え始め、煉瓦の屋根からパラパラと

雪が落ちる音がした。

体を起こしながらも、飼い犬の行動に何かを感じた彼は枕元の斧を持って、促される侭にドアを開けた。



その刹那、飼い犬が猛スピードで足跡一つ無い雪原を走りぬけ、立ち入り禁止の森へと走っていく。




「おぃ、ファング!」




普段でも動きにくいこの体が寝起きであるのと、雪の所為で彼は足をとられながらも飼い犬の後を追う。

必死に進むと飼い犬の鳴き声が次第に大きくなり、ようやくして大きな針葉樹の元にいる姿が見えた。


本当にどうしたのだろうか…と彼が思いながら木の元に辿り着いた時、その疑問は吹っ飛んでしまった。





「っ!」





雪上に、白とは対照的な黒髪を持ち、顔面蒼白の少女が倒れていたのだから。










祝40話!…ファングお手柄だね。
補足:文中に出てきた『全ての者達』は、預言書が複数で存在しているからです。
   前回の『二の者』は、勿論二巻が姿を変えたもので…(ごちゃごちゃスマソ)
…ほぼケンタウルス総出演。あ、でも足りないかな?


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