"I do not know the word."

























誰かに突き落とされた感覚に襲われ、私は突然意識を回復した……しかし、瞳を開けたその先は目蓋の

裏の世界とそう変わり無かった。何度か瞬きをしてその真意を確かめるものの、やはり眼前に広がる闇は

闇の儘であるのを確認する。


行動を開始する前に、私は変な感覚に陥った…頭の中が真っ白で、何も思い出せないのだ。

――しかしそれは一瞬の事で、直ぐ頭の白紙には記憶のペンキが盛大にぶち撒けられた。





「…さっきまで、走ってたのに」





小声でそう呟くと、耳には反響した声が微かに聞こえた。どうやら此処は結構広い空間で、実際に存在して

いる場所みたいだ。床らしき所から取り敢えず上半身を起こして体の各部の状況確認――異常無し。


コンクリートの手触りの床は氷の様に冷たいのに、私の体はそんなに冷えていない。図書室から出る際に

掛けた(最大三時間効力がある)防寒呪文がまだ継続されている…つまり気を失ってからそんなに時間は

経っていないようだ。





「……拉致かよ」





そう言って思わず盛大にため息を付いてから、私はまだ微かに痛む全身を手で擦った。

あの神経的な痛みが“代償”による物だとしても、突然過ぎて不自然なのは明らかだし、気を失ったからと

言っても勝手に場所は移動しない……ようするに、私は厄介事に巻き込まれたようだ。


――…何故、そうなる。


なんて運の無い奴なんだと、自分を呪いながらも、取り敢えず辺りを照らそうと私はローブのポケットに手を

突っ込む……勿論、そこには有るはずの杖が無いのだが。





「やっぱり、無いかぁ…」

「……それ程鈍感な誘拐犯がいるかい?」





緊張感が無い私に、大量に皮肉が混じる発言が背後から聞こえてきたのですかさず振り返るが、そこには

変わらず闇しかない。





「すみません…少し、明かりが欲しいです」





誘拐犯宣言をしている相手に対し(杖を奪われている事を承知の上で)私はそんな事を願い出てみる。

少しの間の後、眼前の闇からブンッと何かが猛スピードで通過する音が聞こえ――仄かに暗い大きな部屋

が見える様になった。


何度か瞬きをし、私は背を向けて離れていく青年の姿を確認する事が出来た…黒髪に、進むたびに後ろ姿

からはみ出て揺れる緑のネクタイの、青年。

彼が背を向けている内に、妙にバランス感覚を失った体に鞭を打って立ち上がり、臨戦態勢に入る。





「…此処は、どこなんですか」

「君も知っての通り、穢れた血を襲った者が住まう場所さ」





そう言いながら振り返った彼は、手に杖を、そして顔には不気味な笑みを浮かべていた。





「ようこそ、ホグワーツ四強の一人、サラザール=スリザリンの秘密の部屋に。

 歓迎しよう――





スリザリンの末裔であるトム・リドルの発言と笑みに、私は一瞬で体が冷たくなった。

何故だ。何故、私と一切接点を持たない彼の口から、私が必死に隠している真の名前が出てくる…?





「……そんな名前知りません。一体、誰なんですか」





動揺する心を押さえ付けながら、彼に私はそう言葉を返した。

しかし彼は、さも愉快そうに笑い、朱の瞳で私を見つめる――まるで、心の全てを見透かす様に。





「魔力など一切持たない汚らわしいマグルの小娘――つまり、君の事だ」

「私はであって、ではありません!」

「……そう断言できるのは"クラウン"の後ろ盾があるからか?」





一瞬視界が揺らいだ気がした――今、彼は何と言った?

クラウン…?一体誰の事だろうか。

私の感情があからさまに表情に出たらしく、彼は考え込んでいる私に言い放った。





「…そうか、クラウンは自分の名すら君に教えてなどいないらしい」





その声は、明らかに私を蔑む様な感情が入り混じっていて、例え今の私が劣勢であったとしても、怒鳴って

やりたいくらいだった……しかし怒りの感情を何とか心の底に沈め、私は必死に考え始める。


…此処が秘密の部屋である事は、先刻のリドルの発言で既に証明されている。しかし、問題は現在部屋の

主である彼が此処に居る事が問題なのだ。

主がいるとなれば、多分(いや、絶対的に)この部屋から出る事は格段に難しくなる。

杖も彼の手の内にあって、出入り口の方向もわからない。


――…しかし、行動しなければ情報を流し続ける事になる。





「勝手に、何とでも言って下さい!」





私は彼を出来るだけ視界に留めたまま猛烈ダッシュを始める。

急に行動を始めた私に、彼は顔色一つ変えずに私の後を追い始める。


自らの後方に逃げる私だが、本当にそっちに出口があって逃げ出せるのか確証なんてない。

今は、逃げるんだ。あの、腹黒な彼から。



背後から、何度か閃光が飛んできた。

青緑や紅――緑の閃光が足元に当たり掛けたので、運動でかく汗とは違う汗が、顔に流れた。

"此処に連れて来て死の呪文を掛ける筈が無い"……そう自分に言い聞かせて、死の恐怖を振り払った。


走る数メートル先が何とか見えるが、その向こうは全く見えない。

気持ちに焦りが出て来た刹那――右肩に、稲妻の様な鋭い痛みが走った。





「くっ」





胸が詰まる様な感覚に襲われた後、突然体に力が入らなくなり、私はスピードが出ていた身体を床に引き

摺りながらその場倒れ込む。

ビリビリと、金縛りに似た状態に陥った体に鞭を打って、何とか上半身を起こす。


逃げなきゃ…逃げるんだ……。





「…動くな」





その一言で、私は彼に杖を突きつけられているのに気付き、静止した。

もう逃げる見込みは無くなってしまった……そう思っていると、彼が発言した。





「"クラウン"の守りは、僕に通用しない」





彼の、猫の皮を剥いだ様に変わった声色に驚きながらも、私はとある事にようやく気が付いたのだ。

預言書達の守りがある程度利いている筈の私に、何故彼の呪文が通用する…?





「――…貴方は、何を知ってるんですか」





俯いていた顔を上げて彼の顔を見詰めれば、冷たい表情で彼も私を見ていた。


私についての事を詮索される事を覚悟の上で、

そして、彼から完璧に逃げられない状況であるのも忘れて。


そんな彼のその目は、綺麗なワインレッドなのに何となくくすんでいる様に見えた。





「知ってるさ…クラウンの事も――具現者である君の事も」




彼の言葉が、防寒呪文を念入りに掛けた筈の私に鳥肌を立たせた。











最後のアングル(さん座り、赤目様が杖突き付け)が結構気に入ってます。
引き延ばし気味でソーリー。次が二巻沿い最大の山場?

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