走りながら、思った。
遠くへ、遠くへ……逃げ切れるなら、この偽の肉体を捨てて逃げ延びたいって。
「ハァ…ッ、ハァ…ッ」
随分走ってしまい、息が荒くなった…がむしゃらに走った所為か、人気が一切無い場所へ来てしまった…
…よく思えば、城内の見取り図すら頭の中に入ってない私が、無茶苦茶に走ってしまったら今何処に居る
か分からなく成る筈だ。
「んー…どうしよう」
辺りをもう一度見回す……やはり誰も居ないし、"どっちに行けば○○"見たいな標示も無い。妙にシンッ
としていて、全体的に空気が重い気もする。
現在地が分からない私にとって、今動く方が厄介な事に巻き込まれる予感がする――荒息がまだ治まらな
い中、急に脱力感に襲われ、廊下の壁にもたれ、その場にズルズルとへなり込む。体は重いし、何となく
気分が優れない。一息付いていた其の時――…大きな物音が、結構近くから聞えてた。
「ひゃッ!?」
不意な物音に、思わず異様な声を上げてしまった私だが、素早く立ち上がって鋭く辺りに目を凝らす。
「……アタシがそんなに嫌いなのッ!?」
「誰かの…声?」
怒りに満ち溢れていたが、徐々に泣きが入り始めている叫び声が、私から見て右奥のドアから聞えてきた。
予感……多分、あそこは二巻に登場する三階の女子トイレだろう。
「みんなして……みんなしてっ、私を苛めるのがそんなに楽しいの?」
完全に涙声となった女子の声が、寂しげに反響して私の耳に届いていた。
授業が始まるかもしれないが、次は魔法史だ…幽霊先生は、多分遅れてもそんなに怒らないだろうし、
いやむしろ私がいない事すら気付かないで授業を始めるのではないかとも思った。
だから、私は重くなった体に鞭打って、女子トイレへと足を進めた。
嘆きのマートルがいる――三階の女子トイレへ。
キィ……。
「誰ッ!?」
叫び声に間違われそうな甲高い声で、私はあまり良くない歓迎を受けた。
其れを気にせずに、トイレの奥へと進むと、漸くその声を発した本人の姿を確認する事が出来た。
各トイレを分けている枠の部分に腰掛けて、全体を銀のベールに包まれている幽体の二つ結びの少女が、
私をキッと睨んでいた――いや、入って来る前からこの目付きは変わっていなかったのかもしれない。
「アナタ、誰よ!アタシを馬鹿にしにきたの!早く出て行って!!!」
完全にヒステリックな状況に陥ってる泣き顔の少女――マートルを見て、私は何故かその場で動けなくな
った……そんな私に対して一層怒りを露にしながら、マートルは言う。
「何で黙ってるのよ!さっさと出て行ってよ!!」
叫び声に等しい発言をして、私をなんとか追い出そうとする彼女……それが、恐ろしく昔の私に被った。
自分以外の全てが敵に思えて――。
癇癪を起こして相手を遠ざけて――。
そして、影でそんな醜くて悲しい自分に涙して――。
だから、私はマートルのそんな荒っぽい言葉を跳ね除けてズンズンと足を進めて埃が溜まり始めている壁
の所で座り込む。私の突然の行動に、困惑の声でマートルは言った。
「な、何よ!?さっさと他の仲間の所に行けばいいじゃない!!」
「……今の私に、友達なんて居ないの」
その私の発言に、ひくついていた彼女の息が止まった。
マートルを思って、こんな事言ってるんじゃない……素直に、私の気持ちを言葉にしているだけだ。
「なにいってるの!慰めなら「慰めじゃない」
彼女の発言を遮って、私は少し柔らかな声で彼女を見詰めながら言う。
「私ね。色々事情があって、今の生活で友達とか、そう言う関係を一切持ちたくないの。
うん、きっと贅沢なんだと思う。あえて友達になってくれそうな人との関係を断ち切ってるんだし。
……でも、凄く怖いんだ。人って、一人じゃ生きていけないし、むしろ弱い私が何にも重圧に対するはけ
口を作らないで生きていけるのかなってさ。
もし、それに我慢できずに誰かと交友関係を持ったとしても……私は、相手に迷惑を掛けると思うし。
なんかさぁ……も、もう、どうしようも、なっ、無いって感じかなぁ…」
知らず知らずの内に、私の徒然とさせていた発言には熱が篭って、最後には泣きの感情が入って来ていた
ので、咳払いで体の外へ追い払う……なんか、ホントーに色んな事で押しつぶされそう。
今の事、したい事、したく無い事、目指す事、未来の事、そして過去の事――。
全部、私に絡み付いて、歩こうとしている私をその場に縛り付ける。
「ごめん。なんか気持ちの整理ついてないのに此処来ちゃって…、迷惑だったね」
「そんな事無いわ!」
突然のマートルの大声に、少し俯いていた私は急いで顔を上げる。しかし、私が見た瞬間、マートルは少
し視線を逸らしながらも私に言う。
「あ、アナタ自身が嫌いってわけじゃなくて……アタシの方こそごめん」
青白い彼女の肌が、先刻以上に赤くなったのを私は目撃した――その、少し照れる素振りが嬉しかった。
「あぁ…そう言えば、名前言ってなかったね。私は・」
「……マートルよ」
そう言って、マートルはふわふわと私に近付いてきた。イメージは、大きな布の様な感じと言ったらいい
だろうか。しかし、浮遊しているマートルを見ていて、私はある重要な事に気付き、直接聞いてみる。
「――ねぇ、"マートル"って言うのは名前なの?」
その一言が、マートルには絶大だった。どうやら、聞いて欲しくなかったらしい……輪郭がハッキリしてい
ないのにも関わらず、ぎこちないロボットの様な動きをして、私の方を振り向き、言う。
「……鋭いのね」
「だって、マートルって名前より苗字っぽいからさ……ごめん。嫌なら言わなくていいよ?」
しかし、私の口元にはニンヤリとした笑みが浮かんでいる――少し、マートルに脅しを掛けてみる。
そんなさっきとは明らかに性格が一変した私に、一瞬驚いた様な表情になったが、マートルは小さな溜息
を漏らして、隣に飛んでくる。マートルに私は向き直り、しっかり眼を見据えると、小声で言われる。
「確かにアタシの"名前"は"マートル"じゃないわ。
名前を言わなかったのは、……それで散々馬鹿にされた事があったからよ」
「でも、私はマートルを馬鹿にする権利も義務も無いよ」
「ふふ……アナタは本当に変な人ね」
変な人って……目の前に本人が居るのに普通言いますか?少し傷つくって……。
そんな私のしかめっ面を見て、クスクスと笑っていたマートルだが、とうとう名前を私に明かした。
「アタシの名前は……"メアリー"よ。"メアリー・マートル"」
「…いい名前じゃないの〜。私よりずっと素敵だし」
少し、自分の名前に対して愚痴を言うと、マートルは「そうかしら?」と軽く笑って答えてくれた。
――なぁんだ。マートル…いや、"メアリー"ってこんなに柔らかい子だったんだ。人(ゴースト)は見かけ
(本の描写)によらないのね。やっぱり。
「……どうしたの。?」
「ん〜? 少し眠たくて…あと、名前でいいからね」
私は、頭を少し掻きながら、メアリーにそう言って、顔を床に向ける。眠たい……体が徐々に重くなって行く。
オールナイトと精神的な疲労が解きほぐされた所為だと、私は確信した。
目が重い…何で……こんなに動けなくなったんだろう……メアリーの声が聞えた気がしたが、私の意識が
地に落ちるのが早かったらしく。
何の事を言っていたのか分からず、意識がとんだ――。
〜§〜
ボフッと言う効果音が、今私しか使っていない一人部屋に響いた。
昼間は良く寝た……その所為で、勿論二限の魔法史をサボってしまったし、そして昼食の時に(何故か)
ドラコにしつこく説教されてしまったし…。
しかし、何故私と関係を持とうとするのだろうか――結構、私は冷たく彼をあしらってしまってるのに。
とりあえず、身を投げ出したベッドからムクッと体を起こして、サイドテーブルに置いてあるキャンパスノート
を開く…此処に、自分で結論を探すべき物事を書き記している。そろそろ、一ページ埋まりそうだ。
……多い、多すぎて頭痛がする。
こんな細かい事、出来るなら記憶の中で抹消したい位だが、やはり其処はA型の血が騒ぐんだろう。
ふっ・・・・・・何でA型なんかに生まれちまったのか…(出来るなら、B型がよかった・・・)
頭の中の情報を文字にして、ノートにシャーペンで黒い文字を綴って行く・・・あぁ、懐かしき日本語。
漢字がこんなに難しい物だったとは今まで気付かなかったし、意識したこともなかった。
今日の疑問を、ノートに書き終えパタンと閉じると、再び仰向けの状態でベッドに寝転ぶ。
「ねぇ〜。本達?」
――何だ。
直ぐに答えが返ってきた。一瞬、呪文学の時心の中で投げかけたのに答えてくれなかったのは、わざとで
はないかとも思ったが、とりあえず本題に入る。
「……貴方達が見ていたか知らないけど、今日呪文学で初歩的な"浮遊呪文"を使ったら、本来有り得ない
程の効力があったの…それの理由って、私の素性に関係があっての事ですか?それとも、使っているの
が具現の力を施した"偽装杖"だからとか?」
――君が言う理由はどちらも正しい。だが、強いて言うのならば前者の方が最大の原因だろう。
今の君の魔力は、我らが有する"未知数の力"を変換し、供給している物……つまり、通常生まれる魔力
とは違って格段に質が高いのだが、それだからと言って、操るのが容易な訳ではない。"杖"と言う名の
制御装置通したとしても、其れは同じ事。
なので、君が魔力を紡ぐのなら、制御し切れない魔力が呪文を拡張させる場合が殆どと成るだろう。
本達は、長ったらしい固い文章で私に説明をしたが、なんて面倒で扱にくい魔力なんだろうか…でも、操れ
ない状況を解決すれば、魔法の効力は格段に上がるみたい。
明るくいこう――めんどうな事を忘れ気味で。
「あと……前から思ってたけど、私が"発言"をしないと貴方達から"応答"がないのは何故です?」
素朴な疑問だ。わざわざ用事がある度に、こうして独り言の様な発言をするのはこの先、出来るなら慎み
たい……しかし、本達の答えはやはり予想していた通りだった。
――それは、具現者である君が紡ぐ言葉で我らが未来を変えているからだ。
君が思った事が私達に伝わる前に、君の言葉自体が力を持ち過ぎて受け取る事ができないのだ。
だが、君が見聞きした事は情報として我らにも刻まれるので、我らとの会話を望む場合説明は不要だ。
「あぁ……そうなんですか」
何か……凄く疲れた。色んな所で気を使って、緊張して、人間関係がとてもぎこちなくて。
もう、宿題とか明日の事とか、色んな疑問の解明する気にも成れない。
「とりあえず、寝る」
足元に積んでおいた羽毛布団を器用に足で肩のラインが入るまで引き上げ、もぞもぞと動いて寝やすい
体制になる。服装は……制服のままだけど、そんな事気にしない。
睡魔が私に眠り歌を聞かせてくる…――なんて甘い声だろう。
私は、肉体的感覚と共に意識が地に落ちるのを感じた――。
編集 5/11