いちいち、そんなことを気にしてたら、絶対生きていけないと、私は思う。 
 
 
 



 
「ようやく…見つけました…」 
 

背後から聞こえる穏やかな声に、私はビクッと身を揺らし、心とは裏腹に歩みが止まる。 
煌々と輝きを放つ街灯が、視界の端で見えている…そんな意識の逃避行に走ろうとするのを、
無理に食い止めて。冷静になる。 
 
 
さて、後ろにいるのは誰でしょう。 
 
 
通行人、もしくは別名ストーカーと言う可能性はとても、低い。 
ここは鉄の骨組みの上に成り立つ木製の橋…足音を立てずに近寄るのは非常に難しい。 
そもそも、私を狙うような暇な輩がいるなら、もっと現実問題を見ろ、と言いたい。 
 

では、後ろにいるのは何でしょう。 
 
 

冷たい風が背後から吹き、背筋に鳥肌が立つ。 
季節は梅雨、時は宵、場は人通りの無い朱の橋の上。 

この条件下のもとで考えれば、背後の存在の名は――。 
  
ゴクン、と息を呑み、そのまま遠くの家々の窓から零れる明かりに目を移しながら、足を再び動かす。
"見えない"と分かれば、相手も諦めるかもしれない。 
そんな微かな希望を抱きつつ、無理に作った余裕の表情を浮かべていると。 
 
 
「…私が、見えないのですか?」 
「ひ、ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!?」 
 

…相手は、私の心境など既に読んでいたらしく、突如眼前に現れ、顔を付き合わせる形になった。 
勿論、そんな行動を取られて、冷静で居られるほど私は出来た人間ではなく、
素の声で、盛大に悲鳴を上げた。 


「あ、あああっ、あなっ、あなっ…!」
「あぁ、やはり見えていらっしゃったのですね」


とてもうっとりとした口調でそう言う眼前の人物に、
その心臓に悪い行動について文句の一つでも言ってやろうかと睨みを利かせたが、
そこに居る人物の、異様な姿に私は目を見開き、声を失った。

人が居た、確かに人の形をした者がいた。
だが、一般人は街灯の光が体越しに見えることなど絶対にありえない。

いやそれ以前に、あんな体が疲れそうな服装を着ていることなど、ない。
言うならば、同人誌即売会の特設スペース限定で着こなす特徴的な服で、
…公道で着てみるがいい。取り合えず写メの嵐を喰らうだろう。


現実逃避はさておいて。


「っていうか、何なんですかお兄さん!いかにも不審人物なお兄さんっ!!」
「クク、私が不審人物…?どこがでしょうか?」
「縦、横、高さ、360度全てにおいて不審、且つ変人ですって!」


眼前から急に遠のいた男の顔は丁度陰に隠れて見えないが、
声からして明らかに私で遊ぶつもりでいるのがよく分かる。
…綺麗な声でそんなこと言うのは止めて欲しい。と、素直にそう思った。

目的地への道を塞がれた今、私に残されたのは後退と言う進行しかなく、
相手に気付かれないように、ずるりずるりと足を動かす。


「と、とりあえず、ご用件があるならさっさと言って下さいよっ!お経、唱えますよ!?」
「私に、経が効くとお思いですか・・・?」
「ご名答だよお兄さん!実は効くなんて全く思ってなんか…って違う!」


嗚呼駄目だ、自分の性格上のノリの良さに嫌気がさした。
私の口から零れ落ちた本心を聞くと、今度は音量が微かに上がった笑い声が
遠くから聞こえる車の騒音と共に耳に届く。

もういい。目の前の人物が人外で、尚且つ不確かな存在であることは認めよう。
ただ、そう脳内で処理したとしても、残留してしまった問題はいくつか目に付く。
その中でも一番大きな疑問を言葉にし、口に出す。


「あのですねっ、とにかくまずは何で私の所にお兄さんが来たのか教えてくださいよっ!」


神通力、霊感、魔力、第六感…その他特殊能力と言われる類には悉(ことごと)く縁の無い私に、
そもそも日常生活では目にする事など無い彼のような存在が見えるのか…それ自体が謎だ。


「おや、なにを仰るのですか…?」


ゆらりと、霊の如く(言わずとして霊であるのは確定だが)近寄ってくる彼に対し、
私は思わずグッと足を後ろに引いて、後退を開始する。

非現実な出来事に遭遇したのならば、冷静さを失い、動揺し、
更には思考能力の低下が起こる場合が多いけれども、今の私は逆に何処か冷静で、
寧ろ四肢の動きが鈍っている事に腹を立てる程、余裕があった。
…これが、一般常識的観点から見た"余裕"と言う物として扱われるのかはさておき。


「私は一日たりとも忘れたことなどありませんよ…貴方の、その惹かれてしまう魂の美しさを!」


そんな魂に惹かれるのなら、私はそんな発言をする彼から引いてくれよう。
…捻くれた言葉が思わず口の先から出そうになったが、それより先に彼が言葉を重ねる。


「姿、そして考え方は幾分か変わられたようですが…私には分かるのです」


足に、車両進入禁止用の安全柵が当たり、その所為で態勢が崩れ尻餅をつきそうになったが、
その寸前で前方から迫る彼に手を引かれ、転倒は免れたが同時に先刻まで見ていなかった彼の顔を
漸く視界の中に入れることが出来た。

整った顔立ちの、銀髪の好青年がいた。
発言と身に着ける服装からは想像出来ないほどの、爽やかさがそこにはあった。
一瞬だけ見たのならば「今の、女の人だよね」と言われても同意したくなる。
それほど、彼は男と女の判断基準では分けられない中性的な顔をしていた。


「…やっと、やっと、会うことが出来ました」


透けた彼の手が私の手首を撫で、そして優しく言葉を口にする。



「――信長公」




・・・

・・・・・・・




今、己の前に立つ彼の言葉を素直に理解できるほどの処理能力は、私の頭には無い。
そう思っていたが…それは思い違いだったらしく。


「思い違いも対外にしろやゴルァ」
「…おぉっと、危ない危ない…」


言葉と共に、私は無意識に足も出てしまい、
それが到達する寸前で彼はひりゅりと飛び退き、難を逃れた。
しかし、私の怒りと取り乱し方は尋常ではなく、息もせずに言葉を断続的に投げ続ける。



「おちょくりネタで織田信長選ぶ!?ここ何処だか知ってる訳?愛知県清須市よ!?
 んで、この大手橋の前は何があるかちゃんとご理解いただいてます?
 列記とした織田信長の居城(過去形)の清洲城よ!?
 それにまず私がなんでそれに付き合わなくちゃいけないの!
 ""…私の名前の何処に"のぶなが"って言葉がある訳!?」



此方としては出身地であるこの地のことはよく理解してる方だと思う。
だからこそ、何故よりにもよってあの有名人の事で冗談に付き合わされなきゃいけないのか。
それも、地元の人間の私に対して。

しかし、彼はクックと低く笑うとその表情のまま私に言う。



「嘘をついてなどいませんよ。
 信長公を一番近くで見ていた私ですから…あなたを弄るのは愉しいですが」

「そこは否定しろよ――って、つまり
 "クク、私は信長公に仕えていた家臣です"とでも言いたいんですか?」



鼻で笑いながら、じゃあ名乗ってみてくださいよ。と余裕の表情を顔に浮かべながら言った。
冗談のつもりだった。例えいかような歴史上の人物の名前が出てこようと、動揺しない高を括っていた。
…無論、私の余裕など、崩れる為に存在するのと等しい、であるからして。


「私の名ですか…」


クスリ、と静かに微笑み彼は深く一礼した後、言った。



「明智十兵衛光秀…これでも、本当に知らぬと仰るのですか?」



…嗚呼、厄介だ。知らぬ筈など、ないじゃないか。
個人的な物ではなく、世界一般常識の観点から言う"知らぬ筈など"だけれども。
ただ、さすがに此処まで冷静に対処してきた己が理解力も限界の域に達したらしく、
紡ぐ言葉に、困惑が見え隠れするようになる。


「OK、OKお兄さん…取り合えず整理させておくれ。今現在は一応逃げないから。
 ――…もし、そうならお兄さんが一番分かってるじゃないですか!
 あの有名な織田信長は、京都の本能寺で…他ならぬ貴方に殺されたんですよ!?」


誰であろうと知っている出来事(知らぬと言う人物はきっと日本史が不得意)を叫ぶように訴える。
そうだ、事件の名前は"本能寺の変"…主要人物を上げるのならば、
彼がおそらく慕っている織田信長と、他ならぬ"明智光秀(自称)"の彼だ。
彼が当人なのか否かはこの際置いておこう…考えると頭が痛い。

そもそも、自分の手で殺めた主のことを慕い、
そして会いに来ることと言う時点で行動の辻褄が合わない。
会いにくる人物を間違えたのはさておき、寧ろ彼は織田信長に恨みがあり、それで奇襲をかけたと。
…ん、自害まで追い込んだだけであって、直接手は下していない、だっただろうか。



「そう伝わっているのですね…分からないのも無理はありませんよ?
 貴方は信長公であり、又信長公ではないのですから」

「文章の構成が、それ以前に間違ってるんですけど…じゃあ私は無関係じゃないですか!」



文章作成能力が若干低下している彼に対し、思い切り突っ込みを入れる。
ただ、分かったのはその文章には肯定と否定が同時に存在しており、私はその両者の内否定を選択した。
…霊相手にこんな話をしていること時点が、そもそもの過ちだったのかもしれないが。



「――だって、貴方は信長公の生まれ変わりなのですから」



知っているなどそもそも可笑しいのですが、と笑いながら言う彼…明智光秀が。
今無性に、殴り倒してしまいたいと、思ってしまう自分が居ることに気付き、ぐっと堪える。


冷静になってくれ、と自分に言う。
確かに相手に腹を立てるのはよく分かる。普段の私なら蹴るか殴るかの攻撃を容赦なく繰り出している。
彼における私の認識情報は、つまりこう言うことになる。
己が手で殺したが未だに慕う信長の、生まれ変わりである女。
…文章構成上では間違っていないが、それを思う私には引っかかりが多すぎる文章だ。


「…もう、貴方に付き合ってられないです」


深くため息をつき、くるりと方向転換して私は帰路へと急ごうとした。
これ以上彼の話を真に受ければ、いい加減私の頭も知恵熱を持ってしまう。
…それほど、現状は難解で、一般常識の中から見つめれば理解しがたいのだ。

彼が追ってくるか追ってこないかなど考えずに、私は安全柵を越えて歩き出す。
織田信長?明智光秀?その上輪廻転生後が他ならぬ私?
嗚呼、まだ頭が混乱している。

全ては夜に見た幻、闇に現れた朧なもので――決して、自分を追う足音など、する筈が無い。


「って言うか、ついて来ないで欲しいんですけど」
「私は、もう貴方のことを守ると決めてしまいましたから」
「勝手に決めんじゃねぇ、逆に呪われるわ!」
「…ご理解いただけて無いようですねぇ」


背後を微かに首を動かして何度も見つつ、そんな毒を含んだ言葉を吐けば、
更に一方的な会話をしてくるかと思えば、彼は声のトーンを落として、静かに言う。



「私がこの姿でずっと騒がれずにいるのは、恐らく誰も気付いていないからでしょう。
 …つまり、私は霊。であるからして、貴方がどんなに拒絶されようとも、
 私から逃げることなど不可能なのですよ・・・っ!」



新種のストーカー発言をする背後の彼に、私はぞっとした。
テレビのワイドショーでやっているストーカーの話を、前は暢気に傍観者として見ていたけれど。
現実問題で、今その標的になりつつある自分に嫌気が差して。
――猛烈な速さで、走り出した。


「おや、私から逃げようとお考えなのですか?クク…なんて無謀な…」
「煩いっ!って言うか成仏しなよ!いいお寺紹介するから!」
「…その寺の住職は、恐らく翌朝には泡を吹いて倒れているでしょうね」
「何処までお兄さんは悪霊なのよ!?」


来るんじゃないっ、逃がしませんよ、と言う会話を器用に走りながらこなす。
逃げ切れるのならば、それが一番だけれども。

背後から聞こえる彼の笑い声と、彼が口にした"説"を考えてしまうと、
その可能性は限りなく低いのだろうなと、瞬時に分かってしまい、
私は徐々に体からではない倦怠感を覚えながら、足を懸命に動かす。

行きにはいなかった者を連れて、私は帰路を走る。




行きはよいよい、帰りは怖い

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続きそうだね。雰囲気から行けば。
…取り合えず、疑問のひとつとして、明智さんがなんでここにいるのかが問題。