「いい事、思いついたんだ」
綺麗に微笑んだの顔からは、言葉で表現出来ない程の残忍さが滲み出ていた。
――から、急に呼び出しが掛かった。
突然の出来事ではあったが、呼び出された者達は素早くが住まう屋敷へ姿くらましをした。
彼らが仕える主の(元)愛人であるに逆らう筈など無いし、寧ろ屋敷に赴事が出来て感謝している程なのだ。
には、誰もを魅了する"何か"があった。
それは、一瞬の煌きの様な、儚い存在の様な――尊さを感じるのだ。
そんなを手に入れる為なら、どんな犠牲もかまわないと思う者も大勢いるらしい……が。
「俺のために――お菓子対決しない?」
――…この一言を聞いたら、身を引く者もきっと数人はいると思う。
しかし、今の現状での口から直接その内容を聞いたのは二人しかいなかった。
――いや、そもそも。はこの二人しか呼んでいなかったのである。
真っ青な顔でを見詰めている黒髪の男は、セブルス・スネイプ。 ――ホグワーツで魔法薬学の教授であり、元・死喰い人。
そして、いかにも今すぐ倒れそうなプラチナブロンドの髪の者は――ルシウス・マルフォイだ。
「……ど、どう言う事でしょうか。様ッ?」
何とか意識を手放すのを防ぎ、頭を整理したルシウスが、におどろおどろしく訊く。
そんなルシウスを見て、冷笑を浮かべながらは気だるそうに答える。
「だってさ、最近屋敷しもべが作るお菓子も飽きてきてさ。
だから、手先の器用そうな二人にお菓子作ってもらいたいんだよね」
口は笑っているが、それ以上の凄みを目の前の少年から感じる二人。
……正直、例え手先が器用だとしてもこの勝負は余りにも難易度が高い、と二人は思った。
「…もちろん。タダでやってもらうわけじゃないよ?」
その言葉で、一瞬の内にルシウスの瞳が輝きで満ち溢れたが、セブルスの瞳には一層影が落ちた様にも見えた。
「…――と言うと?」
「美味しかった方には、極上のご褒美」
重苦しそうに言葉を発したセブルスの言葉を予測していたかの様に、は素早く言葉を返した。
しかし――問題は。
「まぁ、負けた方に命の保障はないかもね」
まさに、(呪文無しの)命がけのお菓子対決だ。
「……勝負は、一週間後。その間はお勉強したり、誰かから教えてもらってもいいよ。
でも、チャンスは一回だけ……失敗なんて、俺は許さないからね」
クスクスと笑って、はサイドテーブルに置いてあったパイを齧った。
……美食家の彼に、お菓子を作った事の無い二人が挑む。
〜§〜
「……何とも無謀な事をやろうとしているのだ。我輩は…」
セブルスの声は、諦めを通り越して少し自分に哀れみを抱いてしまっていた。
確かに、彼は歴史あるホグワーツで高い技術が求められる魔法薬学の教授をしていて、手先の器用さは折り紙付きだ。
――しかし、菓子作りとなるとそれは全くの別問題だ。
一人暮らしのセブルスとは言え、流石にお菓子を手作りする程の事はした事が無かった。
ティータイムは好むが、紅茶の友は何時も市販の物を買ったりする。
「しかし……やらねば…我輩の命に関わる」
そう割り切った彼の目の前には、いつの間にか山積みにされた"初心者向け"のお菓子作りの本。
そしてさりげなく、その本の横にはお菓子作りに必要な道具がドバンッと置いてあった。
「……ルシウス如きに、負けなどしない」
セブルスの頭の中には、その言葉と一緒に燃える様な闘志の火力を上げていった。
〜§〜
「ナルシッサ!ナルシッサ!」
帰ってきた途端、大声を出して母の名を呼ぶ父に対して、幼いドラコは驚いていた。
何時もの威厳ある父とは違い、焦っていると言うよりも、寧ろ何かに興奮している様にもみえた。
玄関ホールの柱に隠れて、何時もと違う父に戸惑いながらも、急いで母の部屋に歩いていった父に、
ドラコはひょこひょことテンポ良く、そして本人は真剣に父の後を付けていった。
「ナルシッサ!……あぁ、此処にいたのか」
「どうしたの、あなた。そんなに息を荒くして……様は、お元気でしたか?」
荒れる息を父や母に聞かれまいとして、開け放たれた侭のドアから少し離れた場所で、ドラコは耳を欹てて会話を聞く。
よく父と母二人だけの会話を耳に挟むと、確かに「」と言う名はよく聞くが……一体誰の事なのかは分からない。
詮索を好まない両親に育てられたドラコは、自分から聞いてはいけないと言う事も分かっていた。
「……ナ、ナルシッサ…」
自分と同じ様に息を荒げていた父の声が聞こえ、より一層聞き耳を立てる。
「…私に、菓子の作り方を教えてくれ!」
Σ(・д・;)!? ×2
驚きの余り、顔が変になる母子でありました…。
〜§〜
概観が地味でしかないその家からは、最近、何故か甘い香りが漂ってくる。
地域住民は、主を知らないその家についての噂話に花を咲かせている。
「あそこのお宅、どうしちゃったのかしら?何時もは何の香りも漂ってこないのに!」
「確かに!……でもあの香りって、洋菓子のなんじゃないか?」
「何でも、お嫁さんが来たと言っとる者もおるしのぉ。
その嫁が極度の甘党で、旦那の方の泣き声が夜になると聞こえるとか……」
「えっ、自分の家をお菓子の家に改装する為に、日夜研究してるんじゃないんですか?」
……多くの憶測が住民内で飛び交っている中、家主はそんな事お構いにある事に熱中している。
――勿論、その家主とはセブルスの事を示しているのだが…。
毎日、セブルスは朝目覚めてから日が沈むまで、ずっと菓子作りに専念している。
焼き菓子にケーキ、シュークリームから和菓子の栗饅頭まで……。
なので、セブルスの家には何時も甘い香りが充満し、外にまで漏れている次第だ。
しかし……問題があった。
「……食べる物が…無いではないか」
冷蔵庫を開けた瞬間、漂ってきた砂糖特有のにおいがセブルスを直撃したが、
そんな事にも慣れてしまった彼は、それよりもっと重要な事に気付き、溜息を漏らした。
――そう、お菓子作りの練習を重ね、腕は上がっているものの、問題はその作ったお菓子が消費される宛が無いと言う事だ。
セブルス自身、余りお菓子を食す方ではないし、食べるとしても少量で、何時も余る位なのだ。
その彼が、お菓子作りを始めたからと言って、菓子摂取量を増やせる筈も無く……今に至る。
洋菓子に占拠された冷蔵庫の中から、主食・副菜と呼べそうな物をゴソゴソと探そうとするが、
ハッキリ言うとそれすらも出来ない程冷蔵庫は一杯一杯だった。
セブルスは腕を組んで――非常に真剣に――今日の"夕食"の事を悩んでいた。が
ゴウッ
「!?」
突如、今の季節使う筈の無い年季が入った暖炉にエメラルド色の綺麗な炎が上がった。
――誰かがフルーパウダーを使って、セブルスの家に来たのだ。
火が収まると、軽い咳が聞こえ、来客が暖炉から煤を払い落としながらセブルスの前に現れた――。
鷲色の髪に、少し青白い顔に弱々しい笑顔を浮かべた男だ。
「……ルーピン」
「やぁ、セブルス」
……まるで友のような会話だが、一方から一瞬で人を殺める事が出来る空気が漂っているので、それは違うようだ。
「…何故、お前が此処を知っているのだ」
「校長先生が、ついうっかり私の所にセブルスの住所を送ってしまったらしくて……面白い手紙と一緒に」
殺気を感じていないのか、それとも殺気を感じていながらもその場に居座れるのかは不明だが、
リーマス・ルーピンはにこやかにセブルスの質問に答えた。
「それにしても、セブルスは何時からお菓子ファンになったんだい?……この部屋、お菓子の匂いしかしないよ」
無償に腹が立っていたセブルスだが、リーマスの一言を聞いて、思い出した――彼は熱狂的な甘党なのだ。
「…ルーピン。我輩は菓子など食べる気は無いが、作らなければならぬ理由があるのだ――貰ってくれないか」
「私は別にかまわないよ……紅茶を一杯頂けるならね」
リーマスはそう言って、穏やかに微笑んだが……セブルスには分かっていた。
リーマスは、自分がお菓子の処理に困っていた事を知っていたのだ……あの校長から送られて来たと言う手紙で。
そんな事を確信したセブルスは、盛大に溜息をついて、台所へ向かいティータイムの準備を始めた…。
――大量の添え菓子を切り分けながら…。
〜§〜
……今、物陰から見詰めている父親の姿が、ドラコは信じられなかった。
あの威厳ある父親が――時に優しい笑顔を見せる父親が――。
「あなた。もっと早く泡立ててください!生地が分離してしまいますよ!」
母の指示する声が聞こえ、一瞬ドラコはビクッと驚いたが、
自分に気付いていない事が分かると、父の姿を見るのに必死になった。
フレッシュグリーンのエプロンをし、綺麗な長髪を紐で結んでいる父は、
母の厳しい指摘を受けながらも、精一杯の勢いで、ボールの中の生地を泡立て器で掻き混ぜている。
そのバランスがうまく取れていないらしく、所々顔に撥ねているが、
当の本人のルシウスは、全く気が付いていない様だ。
「…まっ、まだか……ナ、ナルシッサ?」
「えぇ、まだです!……そこの隅が掻き混ぜられていませんよ!」
……父がこんなに弱々しく、そして母がこんなに恐ろしく見えた事は初めてだったドラコは、
目を逸らしたいと思いながらも、かれこれ二時間程、両親のやり取りを見詰めていた。
確かに、幼い頃。ドラコは母ナルシッサが作ったお菓子を好んで口にしていたが…
……まさか父に教えられる程上手なんだとは思っていなかった。
「――…そろそろ、いいでしょう。次は生地を濾します」
「ナルシッサ……そ、そんな事までするのかっ」
「えぇ!あなたには、絶対勝って頂きたいのです。手を休めないで下さい!」
ドラコは、思った――"母は強し"と。
〜§〜
とても楽しそうな微笑みを浮かべて、は自分の目の前に並べられている二品のお菓子を眺めた。
「……ベイクドチーズケーキ…上品でありながら、滑らかな食感を楽しめるレアチーズケーキが有名だけど
あえてベイクドを選んだのは、チーズ臭さを最大限に押さえて、
その上レアとは一味違った滑らかさを主張したかったのかな?――ルシウス」
はい、とルシウスは短く答えて再び真剣な眼差しでの顔を見詰める。
彼が作ったベイクドチーズケーキは、焼き目に斑が無い焦げ茶色で、一切れのせてある皿から見るに
中の生地も隙間無くボリューム感がある……それだけでも十分美味しそうに見えるのだが、
ルシウスはそのケーキの上にキャラメルアイスを乗せ、その一部分にソースを掛けて
"目にも美味しいチーズケーキ"を演出していた。
「そして――基本の生地との連携が重要になるシュークリーム…幅が広い割にはクリームが分離しやすくて、
難易度が高めのお菓子だね……でも、それを確り乗り越えてるかが問題だね――セブルス?」
がそう笑いかけると、硬い表情を浮かべているセブルスが微かに頭を上下に動かし、自分が作った品を見た。
大きく膨らんだシュー生地に、溢れんばかりのクリームが綺麗に収められており、見た目はとても豪華に見える。
しかし、その中に収められたクリームは濃厚で、甘過ぎず口に優しい。
シュー生地と、クリーム共に二種類ずつ別のタイプを堪能する事が出来る。
インパクトでは、前者に劣る物があるが、バラエティが有るのは此方だと言えるだろう。
「……うん、二人とも凄く美味しかったよ。ご馳走様」
細身のが食べるのには少々量が多い様に見えたニ品だったが、すんなり完食したは二人に微笑んだ。
しかし、何時もなら感じる胸のときめきを感じる事が、二人にはまだ出来なかった――決着の時が、来る。
「じゃあ、どっちが美味しかったか言わなきゃね……」
その発言の後、空気が一瞬の内に変わった――とても愉快そうで、 サド的な感情が混じっている笑みを浮かべたの手によって。
ルシウス、セブルス共に、生唾を飲み、冷や汗を首筋に流しながら、時を待つ。
競い合う両者は分かっていた――はこの空気を完全に愉しんでいるのだ。
緊張し、勝った時の喜びよりも、敗者と決定した場合の"罰"の恐怖に駆られている自分達の感情を……。
時が流れる――しかしは"いかにも悩んでます"と言う雰囲気をわざと漂わせて両者を苛立たせる。
「……よし、決めた」
二人の体が一瞬ビクッと震え、俯く状況からをしっかり見据える体制に入る。
今、決まる………この数日間の努力の結果が…。
「………――今回は、引き分け」
「「はっ?」」
予想もしなかったの結果に対し、思わず二人は間抜けな声と共にズッコケそうになった。
そんな二人を見ながら、愉快そうには言った。
「確かに両方とも美味しかったよ。俺の好みもよく知ってって……でも」
ハァー、とわざとらしさを十分含ませた溜息を付いて、言った。
「俺の"ご褒美"を受けるのには値しなかったんだ……だから、引き分け」
……の笑顔が、此処までずる賢く見えた事は無かったと、二人は思った。
つまり、は"最初から"この勝敗を決める気は無かったのだ。
――挑戦者二人の、努力と奮闘を見たかっただけだったのだ。
「うん、今度は"パフェ"とかがいいね」
そう言って、は頬についたソースを人差し指で拭って、いやらしく舐め取って笑った。